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グルーチョ・マルクス主義に関するテーゼ 日本語訳(ver.1.01)

             ボブ・ブラック
1
コメディ革命の理論であるグルーチョ・マルクス主義は下位窮闘争の青写真以上のものであり、窓に光る赤い
光のように、人類の避けられない運命である夢皆休社会を照らす。G-マルクス主義は永続撹酩、永続かっ、
くぅー、うめぇー!の理論である(伏せ!よーし、いいドッグマだ)。

2
マルクス兄弟自身がマルクス主義理論と実践の総合の例証となっている(グルーチョが誰かを侮辱している隙に
ハーポがポケットの中身をスる)。さらに、マルクス主義は弁証法的だ(チコは一級の伊太弁コメディアンでは
ないか?)。理論と実践を総合しそこねる(罪を犯せない者はいうに及ばず)コメディアンはマルクス主義者とは
いえない。それ以降のコメディアンたちは理論と実践の分離が"ブルジョアジーの秘かな愉しみ(→注1)"である
ことがわからず、子供だましのヘマをしてみせたり、駄洒落で笑わせたりするといったことばかりを続けてきた。

3
G-マルクス主義は実践的であり、その達成するところは決して単にユーモア、娯楽や"アート"などには
とどまらない(審美家は結局のところアートを高く評価することよりも評価額の高いアートのほうに関心がある
のだ)。真正のマルクス主義者はマルクス兄弟の映画を観た後、独りごつ。「あれが面白いっていうなら、自分の
今の生き様を見てみることだ!」

4
現代のG-マルクス主義者はスリー・ストゥージズ、モンティ・パイソン、バッグス・バニーごときの模倣的
俗流"マルクス主義"を断固として糾弾せねばならない。俗流マルクス主義ではなく、正統たるマルクス主義的
低俗に我々は回帰せねばならない。"醜"正は思い違いをしている同志たちにも適用される。彼らは"正しい路線"
というのは警察が「そこ、車を脇に止めて」と導く路肩のことだと思い違いしている。

5
階級意識のあるマルクス主義者(つまり階級などに属していないことを自覚しているマルクス主義者)はウッディ・
アレンやジュールス・ファイファー(→注2)"のようなコメディ修正主義者たちの貧血気味で、トレンディで、
ナルシシスティックな"コメディ"をはねつけねばならない。すでにコメディ革命は単なる神経症の座を奪って
しまっている--おちゃらけているが馬鹿げてはいず、違いがわかるが差別的ではなく、戦闘的だが軍事的ではなく、
冒険好きだが冒険主義者ではない。今日では自分の真の有り様を知るにはマジック・ミラーを覗き込まねば
ならないとマルクス主義者は悟る。

6
マルクス主義的洞察をまったく欠いているというわけではないものの、社会(超)現実主義はG-マルクス主義から
区別されなければならない。確かにサルヴァドール・ダリがハーポに有刺鉄線でできたハープをあげたことは
あった。しかしハーポがそれを奏でたという証拠はない。

7
何よりも馬のトロツキー主義者のごときコメディのセクト主義のすべてを非難罵倒することが肝要である。
周知のように、グルーチョは繰り返しセックスを要求したが、セクツ(セクトの複数形)には反対した。
グルーチョにとって、トロット(トロツキスト)になるのと盛りがついてお熱でトロットロになるのとは別のこと
だった。さらに、トロツキストのスローガン"馬仕事への賃金"は撹酩よりも改革の匂いがする。"終日競馬"や
"駄馬言"を自分たちの性分だといって主張するトロツキストの尽力は憤然とはねつけなければならない。
正直言って、彼らの走りっぷりなどナショナル・ベルベット(→注3)程度だ。

8
G-マルクス主義者が今日直面する火急の問題とはパーティー(政党)問題である。それは初心で還元主義的
"マルクス主義者"にとってはと反対に、単に「なんで私は招かれなかったんだ?」ということ以上のこと
なのだ。グルーチョはそんなことではへこたれなかった!マルクス主義者には彼ら自身のための規律ある
前衛パーティ(=前衛党)が必要である。というのも他のところのパーティーで彼らが歓迎されることはまれに
しかないからである。

9
マルクス主義の不作法主義およびヒステリックな物質主義(唯物史観(historical materialism)にかけて
いる)という指導ドグマによって導かれ、大衆がG-マルクス主義と抱擁するのみならず、互いに抱擁しあう
ことは必至だろう。

10
その時グルーチョ・マルクス主義はコメディの大傑作(tour de farce。farceは笑劇の意。本来はtour de
force)となるだろう。信頼できる筋から得た情報によるとハーポはこう言ったそうだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言い換えれば、コメディとはめっちゃ面白いか、さもなきゃ無だ!やることはいっぱい、それをやる相手も
いっぱいだ!位置について(on your Marx:on your mark にかけている)、用意--ドン!

================================================================================================
注@
ルイス・ブニュエル監督『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』
(Le charme discret de la bourgeoisie, 1972)
パリに赴任した南米ミランダ国の駐仏大使を狂言まわしに、その周囲のブルジョワ達の生態を"食欲""性欲"
を中心に描く。(102分)

注A
漫画家、劇作家、小説家、脚本家。ピュリッツァー賞受賞者。

注B
1944年のハリウッド映画。
当時12歳のエリザベス・テイラーが主演した名作。イギリスの片田舎に住むベルベットは馬を愛する少女。
町の抽選会でお目当ての馬パイボールドを射止める。偶然に出会った少年は馬のことなら何でも知っていた。
彼の力を借りて暴れ馬パイボールドの調教を始める。やがてパイボールドは障害競馬グラント・ナショナルを
制する名競走馬となる。





グルーチョ・マルクス主義に関するテーゼ 日本語訳(ver.1.00)

              ボブ・ブラック


1
コメディ革命の理論であるグルーチョ・マルクス主義は階級闘争の青写真以上のものであり、窓に光る
赤い光のように、人類の避けられない運命である没落社会を照らす。G-マルクス主義は永続的酒盛り騒ぎの
理論である(グッといけ、な!こいつはいけるドグマだ)。

2
マルクス兄弟自身がマルクス主義理論と実践の合一の例証となっている(グルーチョが誰かを侮辱している
隙にハーポがスる)。さらに、マルクス主義は弁証法的(dialectical)だ(チコは一級の方言(dialect)
コメディアンではないか?)。理論と実践を融合できない(罪を犯せない者はいうに及ばず)コメディアンは
マルクス主義者とはいえない。後のコメディアンたちは理論と実践の分離が"ブルジョアジーの秘かな愉しみ
(→注@)"であることがわからず、ある者は単に落とし穴に落ちるだけであり、またある者は単なる
おしゃべりに堕してしまった。

3
G-マルクス主義は実践的であり、その達成するところは決して単にユーモア、娯楽や"アート"などには
とどまらない(審美家は結局のところアートを高く評価することよりも価値の高いアートに興味があるのだ)。
生粋のマルクス主義者はマルクス兄弟の映画を観た後、独りごつ。「あれが面白いっていうなら、自分の
今の生き様を見てみることだ!」

4
現代のG-マルクス主義者はスリー・ストゥージズ、モンティ・パイソン、バッグス・バニーごときの
模倣的大衆的"マルクス主義"を断固として糾弾せねばならない。大衆的マルクス主義ではなく、正統たる
マルクス主義的大衆性に我々は回帰せねばならない。同じく、醜正は思い違いをしている同志にこそ
ふさわしい。彼らは"正しい路線"というのは警察に「そこ、車を脇に止めて」と言われた時に行かされる
道のことだと思っている。

5
階級意識のあるマルクス主義者(つまり階級などに属していないことを自覚しているマルクス主義者)は
ウッディ・アレンやジュールス・ファイファー(→注A)"のようなコメディ修正主義者たちの貧血気味で、
トレンディで、ナルシシスティックな"コメディ"をはねつけねばならない。すでにコメディ革命は
ノイローゼに取って代わってしまった--おちゃらけているが馬鹿げてはいず、違いがわかるが差別的では
なく、戦闘的だが軍事的ではなく、冒険好きだが冒険主義者ではない。今日では自分の真の有り様を知る
にはマジック・ミラーを覗き込まねばならないとマルクス主義者は悟る。

6
マルクス主義的洞察をまったく欠いているというわけではないものの、社会(超)現実主義はG-マルクス主義
から区別されなければならない。確かにサルヴァドール・ダリがハーポに有刺鉄線でできたハープをあげた
ことはあった。しかしハーポがそれを奏でたという証拠はない。

7
何よりも馬のトロツキー主義者のごときコメディのセクト主義のすべてを非難罵倒することが肝要である。
周知のように、グルーチョは繰り返しセックスを要求したが、セクツ(セクトの複数形)には反対した。
グルーチョにとって、トロット(トロツキスト)になるのと盛りがついてお熱でトロトロになるのとは別のこと
だった。さらに、トロツキストのスローガン"馬仕事への賃金"は酒盛り騒ぎよりも改革の匂いがする。"終日
競馬"や"駄馬言"を自分たちの性分だといって主張するトロツキストの尽力は憤然とはねつけなければならない。
正直言って、彼らの走りっぷりなどナショナル・ベルベット(→注B)程度だ。

8
G-マルクス主義者が今日直面する火急の問題とはパーティー(政党)問題である。それは初心で還元主義的
"マルクス主義者"にとってはと反対に、単に「なんで私は招かれなかったんだ?」ということ以上のこと
なのだ。グルーチョはそんなことではへこたれなかった!マルクス主義者には彼ら自身のための規律ある
前衛パーティ(=前衛党)が必要である。というのも他のところのパーティーで彼らが歓迎されることはまれに
しかないからである。

9
マルクス主義の不作法主義およびヒステリックな物質主義(唯物史観(historical materialism)にかけて
いる)という指導ドグマによって導かれ、大衆がG-マルクス主義と抱擁するのみならず、互いに抱擁しあう
ことは必至だろう。

10
その時グルーチョ・マルクス主義はコメディの大傑作(tour de farce。farceは笑劇の意。本来はtour de
force)となるだろう。信頼できる筋から得た情報によるとハーポはこう言ったそうだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言い換えれば、コメディとはめっちゃ面白いか、さもなきゃ無だ!やることはいっぱい、それをやる相手も
いっぱいだ!位置について(on your Marx:on your mark にかけている)、用意--ドン!

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注@
ルイス・ブニュエル監督『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』
(Le charme discret de la bourgeoisie, 1972)
パリに赴任した南米ミランダ国の駐仏大使を狂言まわしに、その周囲のブルジョワ達の生態を"食欲""性欲"
を中心に描く。(102分)

注A
漫画家、劇作家、小説家、脚本家。ピュリッツァー賞受賞者。

注B
1944年のハリウッド映画。
当時12歳のエリザベス・テイラーが主演した名作。イギリスの片田舎に住むベルベットは馬を愛する少女。
町の抽選会でお目当ての馬パイボールドを射止める。偶然に出会った少年は馬のことなら何でも知っていた。
彼の力を借りて暴れ馬パイボールドの調教を始める。やがてパイボールドは障害競馬グラント・ナショナルを
制する名競走馬となる。

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