『メキシコの夢―アルトー、ホドロフスキー、レイジ、そして・・・・』
文=ハーポ

西洋のシュルレアリストにとって、メキシコは神秘的で魅力溢れる超現実的国家にみえた。1938年にこの地を訪れたアンドレ・ブルトンは、フリーダ・カーロの絵画の中に完全なるシュルレアリスムを発見した。マックス・エルンストと別れたレオナード・キャリントンは、この地に渡り、神秘的で物語性の強い独自な世界を築き上げた。サルバトール・ダリと『アンダルシアの犬』を共作したルイス・ブニュエルもまた、この地で20本もの映画を手掛けた。他にも、余りに合理的な西欧文明の解毒剤を求めて、この地に惹かれていった芸術家は多数いたが、この男ほど、メキシコに情熱的かつ過剰な期待を寄せる者はいなかった。その男の名はアントナン・アルトー。すでにシュルレアリスト・グループから追放されてはいたが、その態度において、終始、シュルレアリストだった男。彼の見ていた<メキシコの夢>とは、いったいどのようなものだったのか。
アルトーがメキシコに期待していたのは、革命的社会であった。1910年から1911年のメキシコ革命は、1519年のスペイン征服以前に存在したインディオ文明における神話的世界への回帰が始まったことを意味すると、彼は信じていた。アルトーは考古学者でも芸術家でも、フランスの文化使節でもなく、西洋で極限まで病んだ身体を再発見するために、また、悲惨な結果に終わった<残酷演劇>のプロジェクトの正当性を証明するために、ただ単なる探求者として、メキシコ文化の革命的流動性の中に飛び込もうとした。しかし、そこには、彼の夢見た世界はなかった。実際にあったのは西洋の屍であった。
ここで考えなくてはならないのは、アルトーが目指した革命のイメージである。このイメージは、ジャン=リュック・ゴダールの『中国女』の中での若者たちの革命ごっこや、大島渚の『日本の夜と霧』がみせる左翼の政治闘争のイメージからは程遠い。どちらかというと60年代後半に爆発的に起こったサイケデリック革命に似ているかもしれない。ヒッピーと呼ばれた若者たちは、反戦という政治的立場をとってはいたが、彼らが本当に目指したことは、意識の内部から世界を揺るがし、引っ繰り返すこととだった。そのために彼らは、LSDという幻覚剤の力が必要だったのだ。
アルトーはヒッピーたちよりも30年早く、タラフマラ族のもとでペヨーテという幻覚剤を体験し、自らの身体を実験台とした魔術的思考を展開している。「文化内部の革命なくして、すなわち、人間と、自然と、生に向き合う現代人の意識革命なくして、革命はありえないのである。@」 アルトーにとって革命とは、政治とは何の関わりもない、真正な文化革命でなければならなかった。それは同時に魔術による身体の革命を目指すものだった。
メキシコにおいて、アルトーは、西欧の模倣と成り下がってしまったこの地に幻滅しつつも、マルクス主義を捨て、スペイン征服時代以前にまで溯るような、<原初の精神>の源流に立ち戻るよう、若者たちを過激に挑発する。「現実に重要なのは<原初の精神>の魔術的源流以外のなにものでもない。この<原初の精神>の深奥で、<人間>と<普遍なるもの>とのあいだに途絶えることなく力の交換が行なわれているのだから。A」
アルトーが夢見ていたことは、メキシコの大地に眠る魔術的な力を掘り起こし、彼の考える革命を成し遂げることだった。しかし、アルトーの革命は、彼の人生がいつもそうであるように、魅力的ではあるが、決して実現しない、<原初の精神>の源泉へと向う果てしなき、苦痛の旅だった。
 
アルトーのメキシコにおける愛憎の旅がもたらした強烈なエネルギーが後に、一人の男をこの地に導くことになる。その男の名はアレハンドロ・ホドロフスキー。チリに住んでいた彼は、アルトーのメキシコに関する著作に出会い、多大な影響を受ける。
実際、60年代以降の思想、芸術におけるアルトーの影響力は計り知れないものがあった。演劇人はもちろんのこと、様々なジャンルの人間がアルトーから霊感を授かった。ジル・ドゥルーズやミッシェル・フーコーといったポスト構造主義の思想家から、ドアーズのジム・モリソンやアインシュティルテェンデ・ノイバウテンのブリクサ・バーゲルトなどのロック/ノイズアーチストに至るまで。そして日本に限っても、自らをアルトーの末裔と呼ぶ寺山修司やアルトーの死ぬ直前の叫びを体現し続けた舞踏家、土方巽、そして、恐らくは、阿部薫の命を削るようなアルト・サックスの演奏の中にもアルトーを発見できるB
ホドロフスキーもこの世界的なアルトー・チルドレンの一員であることは確かだが、彼が特異なのは、アルトーが<閉じた世界>だとして訣別した映画というメディアであえて勝負しているところだ。「映画はあらゆる繰り返しや反復を禁じるが、これこそは魔術的行為や感受性に断絶を引き起こすための基本的条件なのだ。それは生を作り直しはしないのだ。生きた波動は、最終的に固定されたいくつかの波動に振り込まれてしまったときから、もはや死んだ波動にすぎない。C」
アルトーによって死刑宣告された映画をホドロフスキーは、アルトーに敬意を払いながら死刑台から救い出す。アルトーが『貝殻と牧師』の構成要素としてあげる「エロティスム、残酷さ、血の味、恐ろしいものへの偏執、道徳的価値の解体、社会的偽善、嘘、虚偽の証言、サディズム、倒錯D」というあらゆる種類の暴力をホドロフスキーは『エル・トポ』という映画に結晶化する。これらの暴力は、決して物語の次元に留まることなく、じかに出演者の身体、そして観る者の身体に降り注ぐ。そう、この映画は身体の動揺や変形に関わる点で非常にアルトー的である。
主人公エル・トポ(ホドロフスキー監督本人が演じる)は、4人の導師を捜し出して殺害するために、螺旋を描きながら、砂漠を旅していく。4人目の導師は、エル・トポの発射した弾丸をかわし、追跡者の目的を成就させないために、彼の銃を奪って自殺してしまう。我々はこの瞬間からカオスの中に放り込まれる。エル・トポは彼と対を成した女に撃たれ、象徴的な死をとげる。そして、地下の世界で再生するのだが、そこは神がかった力により身体を暴力的に変形させられたフリークスたちの掃き溜めであった。エル・トポはフリークスたちを地上に復帰させようとするが、結局、彼らを恐れる町の住民に皆殺しにされる。それに怒ったエル・トポは町の住民を皆殺しにし、自らの身体に火を放って死ぬ。燃え尽きた身体は無数の蜜蜂が群がる黄金色の巣となり、エル・トポはその中で変容していく。この眩暈がしそうになる奇妙な循環を伴った身体の変容の物語は、アルトーが映画に絶望する前に試みていた魔術性を復活させ、生きた波動を、そして新たな生を作り直す。
しかし、なんといっても、ホドロフスキー映画の中でアルトーの影響が色濃いのは『ホーリーマウンテン』においてであろう。この映画でホドロフスキーは、演出と儀式の祭司を務める魔術師の役を現実と虚構の間で行なうことによって、アルトーの<残酷演劇>にオマージュを捧げる。
物語は、男女の混成パーティーが魔術師に導かれて、伝説の導師を求め、聖なる山に登っていく。その際、彼らは、自我の桎梏から開放されるために、一連の強烈な儀式を受ける。しかし、山頂に辿り着いた彼らが見たものは、導師の格好をした単なる人形だった。そこで、魔術師であり、現実ではこの映画の監督であるホドロフスキーが「カメラを引け!現実の世界に戻るのだ」と叫び、幕を閉じる。
この物語は、アルトーがペヨーテの儀式に参加するためにタラフマラ族の山を訪ねに行った事実と奇妙に重なる。ヘロインの禁断症状と闘い、暑さ、疲労、嵐といった数々の苦労を通過し、やっと辿りついたタラフマラ族の村での体験は、アルトーにとって満足いくものではなかった。インディオたちはもはや自分たちの儀式の意味を理解できなくなっているとアルトーは考える。メキシコにおける真の革命的文化の不在がもたらす彼の失望感をアイロニーとして描いたのが、この映画のラストだと言えないだろうか。魔術師ホドロフスキーは、今までの過酷な儀式は虚構だったのだと言い、現実に戻れと言う。次に監督ホドロフスキーによって、その現実も実は映画というフィクションだということがばらされる。カメラは引いていき、スタッフや機材がフレーム内に露骨に写し出される。愕然と立ち尽くす男女のパーティー。聖なる山に、究極的な知や不老不死を求めた彼らとメキシコに革命的文化を求めたアルトーは、ある意味、同じ種類の探求者だったのであろう。

『エル・トポ』のラストでホドロフスキー扮する主人公が座禅を組みながら、自分の身体に火をつけるシーンがある。これを見たときに思い出したのが、LAのバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(以下レイジ)のファーストアルバムのジャケット写真である。南ヴェトナムの占領に抗議して焼身自殺を図った僧侶の写真D。炎を発する身体の異様さ、それは身体が有機的なものから無機的なものへと変容する過程において表出する、圧倒的な得体の知れない力だ。「麻痺した心身は、ひとつの隕石のように、宇宙的な運動と力のなかにあるE」恐れも痛みも熱さも知らない麻痺した精神と肉体は、ひとつの戦争にも拮抗してしまうほどの強烈な力を獲得してしまう。極めて危険な写真をデビューアルバムの顔に飾ってしまうこのバンドもアルトーやホドロフスキー同様、革命と魔術の呪いにかけられているのか。
レイジのヴォーカリストであり、全歌詞を担当している男、ザック・デ・ラ・ロッチャ。彼にはメキシコの血が流れており、父親はチカーノ・アート・ムーブメント(メキシコ人の壁画アート)の先駆者のひとりである。レイジの音楽は、自らのバンド名が示す通り、機械に象徴されるような人間の慈悲の心を無視した理不尽な社会システムを徹底的に攻撃することを目指している。「自分のやっている音楽は直接的政治活動との間にほとんど意識の違いはないんだF」 そう語るように、彼らはミュージシャンというよりも、音楽を手段とした革命家だと言っても過言ではない。そのことは、彼らがライヴでいつもステージに掲げるゲバラの肖像と逆さに吊るされた星条旗が如実に物語っている。ザックの書く歌詞は、ストレート過ぎるほどの政治的メッセージで埋め尽くされ、その内容はすべての<機械は象徴するもの>への怒りで満たされている。すなわち彼の考える革命とは、虐げられている人々を救うことであり、腐敗した機械文明(文明批判の意味ではなく)から、人間の血の通った正義を復活させることである。ここでアルトーの革命観との違いを指摘しなければならない。政治レベルではなく、身体レベルでの文化革命を目指したアルトーと「あらゆる文化は政治的だF」と主張するレイジとの革命観は、全く正反対だといえる。しかし、
どうも『エル・トポ』のラストシーンを連想させるファーストアルバムのジャケット写真が気になる。レイジは政治的な意図であの写真を採用したのだろうが、写真の放つパワーは、当初の思惑を容易に飛び超え、アルトーの目指す革命の次元まで到達しているのではないか。なぜ、そんなことが言えるのか。1997年に 行われた第一回富士ロック・フェスティバルでの彼らのパフォーマンスを体感した者なら、わかるかもしれない。

台風の中で行われた富士ロック・フェスティバル97。それは平和な日本に突然舞い込んだペストであり、戦争だった。交通の麻痺。暴れ過ぎて疲労で倒れる者。じっとしていて寒さで凍える者。熱狂した群衆に潰される少女。強風でテントを飛ばされる者。野戦病院と化す本部とDJテント。夜になり、闇の中で行き場を失った無秩序な群衆。怒鳴り散らす者。民家から食糧を盗む者。死の行進のように、列をなして下山するボロボロな人々・・・・・。なにもかも異常な中でレイジはステージに立った。轟音の中で炸裂するザックのラップ。もはや、それは政治的なメッセージではなく、純粋な怒りの呪文だった。そう聞こえたのは、単に言葉の意味が理解できないからではなく、我々観客の怒りの沸点がピークに達していたからだ。それはもちろん、腐敗した社会システムに対する怒りではなく、この過酷な状況に対しての怒りである。より正確にいうならば、過酷な自然環境に耐え得ることのできない我々の脆い身体に対する怒りである。会場全体がレイジの意図しない右翼的な熱狂(群衆の熱狂が左翼的であるはずがない)につつまれ(この異常事態を作り出した原因のひとつに違うステージでアタリ・ ティーンエイジ・ライオットがパフォーマンスしていたことも関係しているだろう)、先ほどまであった寒さや痛みの感覚は完全に麻痺し、消滅した。我々は自分の身体を失い、会場全体が巨大なひとつの肉の塊として、(アルトーなら<器官なき身体>と呼ぶだろう)圧倒的な力を爆発させていた。ステージを見ると自らの身体から逃れるがごとく、激しく動きまわるザックの背後にエル・トポとアルトーの亡霊が狂気の笑みを浮かべていた。これは私の幻覚だ。そんなことはわかっている。実際は客から出る湯気や霧や雨でステージはよく見えなかったのだ。朦朧とした意識の中で私が見ていたは、きっと<メキシコの夢>だったのだろう。

アルトーからホドロフスキーへ、ホドロフスキーからレイジへ、レイジから私の妄想へ継がれる精神の革命リレー。革命は単なる政治手段ではなく、確かにアルトーが言うように身体レベルでのある種の力の爆発であった。革命万歳!

@アントナン・アルトー、高橋純+坂原真理訳『革命のメッセージ』白水社、1996年、p112
Aアントナン・アルトー『同掲書』p163
B映画『エンドレス・ワルツ』(若松孝二監督作品)で町田町蔵(康)演じる阿部薫がアルトーの『ヴァン・ゴッホ』を音読するシーンがある。
C宇野邦一『アルトー 思考と身体』白水社、1997年、p96
D
レイジのファースト・アルバム 『エル・トポ』のラスト・シーン。 炎上するエル・トポ。

E宇野邦一『前掲書』p60
F『クロスビート』シンコーミュージック、1997年4月号、p56

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